ソードアート・オンライン アインクラッド篇(1~14話)感想
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皆さん、こんばんは。ゼクショーです。
少し遅いですが、10月最初の記事になります。
ワクチンの副反応による充電期間、一時の感想スランプなどの個人的な問題により、前回の記事から一週間以上お待たせすることになってしまい、申し訳ありません。
2021年秋アニメが始まりましたが、皆さんは何か観た作品はあるでしょうか。これからという方もいらっしゃるとは思いますが。
まだ迷っているよという方は、ぜひとも前回の記事をご覧いただけると嬉しいです。
とはいえ、まだ完全には出揃ってはいないという状況なのは確か。僕は、第1話先行配信で観た作品1つと、このあと、レビューする過去アニメを中心に観てましたよ。
まあそのうちの1つを、このあとレビューするわけですけれども。
今回レビューするのは、2012年放送の「ソードアート・オンライン」です。
制作は「A-1 Pictures」。原作は、電撃文庫レーベルで出されている、大人気ライトノベルです。
僕にとっては、ラノベオタクだった中学1年生の頃から読んでいた、思い出の作品です。
当時は、毎クール10本以上観る程のアニオタではありませんでしたが、アニメもゲオで借りて、ついでに観ちゃったくらいハマってました。
劇場版が30日に公開されるということで、これからこの作品に触れるという方もいるかと思います。その時にエピソードのあまりの多さに驚かれる方もいるのではないでしょうか。
テレビシリーズが、全3作と、特別エピソードの「Extra Edition」が1話。テレビシリーズが1・2期は2クール分、3期は4クール分。
劇場版は、原作者書き下ろしの完全新作劇場版「オーディナル・スケール」が、2時間弱(テレビアニメ約8話分)で公開済みです。
感覚的には100話近く観てるような気分になると思います。
あまりにも長すぎるし、時間とれなくて、全部観ようにも追いつかねえしどうしたら良いって思われる方もいるでしょう。
劇場版観る為に、観返しておきたい。特に時間がないよ~って方に僕はこう答えたい。
「意地でも全部観ようとか思うな。1クール目の14話までのアインクラッド篇だけ観てれば、それで十分だ」
今回は、SAOの1期の内容に当たりますが、その全容を語るという訳ではなくて。
今月公開の劇場版を見る為に、これからSAOに初めて触れるよ~という方に向けて、あるいはアインクラッド篇を一度観たけど、どういうとこが面白く感じてたか曖昧だったという方に向けて、劇場版の内容に直結する「アインクラッド篇」のみを敢えて取り上げます。
正直あまりまとまってなくて、自信がありません。
どういった雰囲気の話でどういった魅力があるのか、不甲斐ない身ではありますが、それをネタバレなしで自分なりに伝えていきたい、今回はそんなレビューになります。
あらすじ
2022年。人類はついに完全なる仮想空間を実現した。VRMMORPG(仮想大規模オンラインロールプレイングゲーム)「ソードアート・オンライン」のプレイヤーの一人であるキリト。SAOの世界を満喫していた彼は、ログインした他の1万人のプレイヤーと共にゲームマスターから恐るべき託宣を聞かされる。それは、ゲームをクリアすることだけが、この世界から脱出する唯一の方法であること。そして、このゲーム内でゲームオーバーは、現実世界での“死”を意味すること。それが、このゲームの恐るべき全貌であった。キリトは、いち早くこのMMOの“真実”を受け入れ、パーティーを組まないソロプレイヤーとして、終わりの見えない死闘に身を投じていく……。
シナリオ面
<良かった点>
分からない方のためにざっくりと説明しますと、仮想現実(略称 : VR。英語でVirtual Reality)とは、専用のデバイスをつけて視界を360度覆い、使用者に違う世界を見せる技術のことですね。
2012年にOculusが誕生、日本でも2010年代後半頃にPlayStation VR等のVRデバイスの台頭も追い風となって、高度に視覚を刺激し、体感的な没入感を上げる特徴から、ゲームや医療などの様々な分野に応用されている昨今。
VR技術の研究・開発自体は、国内では1990年代にSONYがやっていたそうなので、誕生自体は特別最近という訳ではありませんが、10年代に入るまでは、世間の関心が薄い分野だった。
ですが、VRに対して世間の関心がまだ薄いときに登場したのが、この「ソードアート・オンライン」。
原作の刊行年は2009年。ほぼ10年代なんだけど、少なくとも僕は、この時はVRなんて言葉一度たりとも聞いたことない。
時代が進んで、似た題材の作品はだいぶ増えた印象ですが。
「痛いのは嫌なので、防御力に極振りしたいと思います。」とか、「究極進化したフルダイブRPGが現実よりもクソゲーだったら」とかね。
デバイス使用者の五感とゲーム中の感覚を完全共有するなどの、独自の設定と解釈が入っている部分はあれど、社会的に大きな影響を与えるようなこの技術に早期の段階から着目したこと、相当の社会的価値があると思います。
このあと内容に入りますが、あらすじの通り、かなり衝撃的かつ壮大な世界観となります。
明らかに、1クールで終わるような題材ではないです。このアインクラッド篇は原作だと2巻で終わってますが、ほんとにこの題材だけで長い話は書けるはずですが、展開を引き伸ばさずに完結しております。
勿論、そこも好印象なんだけれども。
僕はこの作品はアインクラッド篇がピークだと思っていて、それ以外はあまりハマっていない人間なんですが。
この話のストロングポイントは、ファンタジー世界の壮大さだけでなく、ゲーム中のアバターだけでなく使用者本人も死ぬという、本物の「死」という概念を与え、より生々しい人間社会の営みをも演出しているということにあると思います。
最近のゲームは開発用ゲームエンジンの進化によってグラフィック技術が向上して、より写実的なアバターで、美しい世界観で遊べるものが増えてきたように思うんだけれども。
どれだけ巧みに作られているゲームでも、物理法則無視のアニメーションだったりで、現実世界のリアル部分との差を感じてしまうところって、特に最近のオープンワールドゲー、オンラインゲーをやっている人たちなら分かると思うけど、アンナチュラルに感じてしまうものがどうしても出てくる。
人は、空は飛べないし。
北斗の拳張りに筋肉膨張させて、服を裂けることはできないし。
ましてや不老不死にだなんて、なれやしない。
仕方がないけど、そういったフィクションにある程度目を瞑って、ゲームとしての面白さを別に追求しているものが多い。
所詮は、限界ありきの仮初の「リアル」なんですよ。
この作品は、そこにワンアクション変化を加えている。
やめようと思ってもログアウトが出来ない、鍵をかけられた鳥籠にいるような残酷なこの世界で死ねば現実でも死ぬという、仮想の範疇を越えた究極な「死」の概念を根本的な設定としてこの作品が提示することで、どんな展開が生まれているのか。
第一に、一致団結して、共にSAOを脱出しようという攻略組の存在がある。
慣れ親しんだ現実世界に戻りたい。
一人でも多く、一秒でも早くこの地獄から脱出したい。本能的にも、理性的にもそんなサバイバル精神が疼いている連中。
この仮想世界のアバターに、自分の体の意識ごと没入している状態なんで、当然ながら、現実世界の自分も空っぽ同然な訳です。
学校に行けないし、仕事に行けない。
人間社会を生きてる現実の自分の時間は止まったままだから、いち早く復帰したい。
誰だって、普通はそう考える。
俺も、俺も、私も、私もって。
そんな同調圧力は、ベタなんだけどもしっかり描かれる。
第二に、プレイヤーを傷みつけ、殺して快楽を得る連中が出てくる。
生き残るために同志とともに戦う、そんな連中ばかりではない。
考えの違いで対立するプレイヤーたちもいる。それを煽るようにして、殺し合いをさせる、あるいは楽しむような連中が増えた。
「本当にプレイヤーが死んだのか確かめる術なんかないだろう」、「やっていけないことはシステム的にはできない」、「どうせゲームなんだから良いだろう」、そんな理由でSAOのリアルな特性を悪質に利用して、倫理観が歪んでしまった人物たちとして、攻略組の因縁、アンチテーゼとして描かれる。
彼らは人為的にプレイヤーを減らしている、親にでも半殺しにされたんかってくらい許されざる行為をしているんだけれども、彼らを止めるために動く側も自分なりの正義を貫いて、彼らを殺すしかない。紛い物の正義で、償いきれない罪悪感、矛盾した思いを背負って生きていくしかないということでもある。
このつらさに葛藤していく主人公らの描写が、リアリティを感じるものだったと思います。
VRゲームではないけども、10年以上前にタイで起きた「グランド・セフト・オートIV」に強い影響を受けた当時18歳だった少年が、タクシーの運転手を殺してそれを強盗して逮捕される事件が起こったことを思い出しましたね。
人気シリーズのうちの一つで、僕は「V」をやっているんですけれども。
日本では18禁扱いされてるほど危険なゲームで、街ゆく人を傷みつける、街を壊す、銀行強盗、車強盗といったことができるんです。
好きなだけ非人道的な悪事を働いて、人々、社会をかき乱すその光景がよほど刺激的だったのでしょう。
少年は、「ゲームだからいいだろう」が、麻薬でも服用したんじゃないかってレベルで行動がエスカレートして「現実でもやってみたらどうなるか試したかった」という風に行動の動機を述べ、死刑になっています。
種類は違いますしSAOに関しては現実には存在しませんけど、コンピュータゲームの世界にいるというのを前提としてそういったシナリオを用意することで、偶然なのかは分かりませんけれども、今挙げた社会問題、事件に対する反論、皮肉にもつながるのが良いと思いましたね。
第三に、生き残りの戦いに参加せずに、普通に家を建てて素朴に暮らす人々の描写があるということ。
主人公らの、デスゲームを生き残り現実世界への脱出が大前提の話ではあるんだけれども、僕がこのアインクラッド篇が、あまりに安っぽくてポップなエピソードには思えない、一番意外に感じている部分ってここなんですよね。
SAOっていうのはメインはモンスターを倒すスキルだったり、武器だったりを命がけで強化して、強くなっていくっていうのは大前提の話。
主人公らはゲームが得意だから、トッププレイヤーになっていくんだけれども。
こういう人々って大抵一話しか出てこないモブキャラ扱いなんだけれども、実は大きな意味を持っていると思うんですよね。
強きものって、本当に弱きものを助けられるのかっていうこと。
器用で、人脈が広くて、仕事の早い人はさぞかし羨ましい限りだろう。
でも不器用な人は、彼らの有能っぷり溢れる行為を見るたびに威圧感を覚えてしまうことだってある。
以前、コミュ障クソ陰キャな僕が、教科書販売アルバイトをしていた時に、客を上手く誘導して笑顔でレジ対応している人がいまして、彼を見たときの、あの笑顔とあの仕草に静かな戦慄を覚えたことを思い出しますね。
全然そんなことはなかったんだけど、その時一瞬だけね、間違って職場から消されるんとちゃうかっていう、絶望感を味わうんですよ。
これを自己成長のチャンスだと思って、即座にポジティブに捉えられるほど強い人ばかりではないってこと。
そういう人たちは、全てを早く上手くやろうとせずに、人より時間をかけて地道に努力して、やることなすべきことをして食いつないでいくわけだ。
シンデレラボーイになれなんて、スーパースターになれなんて、そんなもんは理想論でしかない。
主人公らは攻略組に入るほど、勇敢なサバイバル精神を持っていた。そして、やがて有り余る強さを手に入れることになる。
弱いプレイヤーは、彼らとは違って戦闘力と強靭な精神で生き残る術を見いだせなかった。
一度入っては戻れない、才能があるかも分からないのに戦ってリスクを犯せば簡単にあっけなく死んでしまうこの残酷な世界を恐れたのでしょう。
現実世界に帰るということを半ば諦めている。
けれども、黙っていると死んでしまう。
五感を共有しているからこそ食欲があり、それを満たすために腹が減ることもありえる。
だから簡単に手に入る食料を見つけたり、家族のような仲間を見つけて、安全な場所を探し、そこで静かに生き残る道を選んだ。
キルを楽しむプレイヤーたちとはまた違う、この対比関係の面白さもこのエピソードに重みを増していると思いますし、他のVRゲーム系作品とは違う、妙に人間的なリアリティがそこにも感じられるのです。
第四に、この世の全てに絶望した自殺者の描写があるということ。
一人のプレイヤーがモンスターや敵プレイヤーに殺されるのとはまた違う、最悪の展開ですね。
主人公に関わる決定的なネタバレになるので、あまり詳しくは言えませんが。
様々な統計を観ていても、自殺者数や、自殺志願者が世界的に見ても多い部類であるというデータがとられている日本。
またその原因について問う統計の中にも、人間関係で上手くいかない、身体的な障害、金銭トラブルによる多額の借金生活、社畜のごとくブラック企業で使い回される日々、学校で壮絶ないじめにあうなどのストレスで自殺を考えるようになったというデータも見受けられる。
こういったことで分かるのは、人はつらいことがあって、大切なことを見いだせなくなると、生きるアイデンティティを失ってしまうこと。
厳密には先述した「強きものは弱きものの多くを助けることができない、その強さとたくましさは、大きな代償がある」という話がありましたが。
そういった部分の深刻な人間関係の不和のような描写も入れてくることとなると、本当に繰り返しになるんですけども、ただのコンピュータゲームで架空の世界を冒険するその模様を視聴者と共に楽しむ「フィクション」に収まらず、日本社会におけるリアリティをゲームの上でやってみせようというシナリオが、挑戦的だし、刺激的な面白さとして映えてるって感じてしまうんですよね。
<悪かった点>
架空のRPGゲーを扱った作品だと謳っているくせに、主人公の存在が戦略的面白さを打ち消しているのは、とても気になりましたね。
複数人で集団を組んで、大型ボスに立ち向かっていく描写はあるんですけれども、他のメンバー共々、レベル差があって苦戦するわけですよ。
意表をついて陣列を変える「スイッチ」っていう戦術が作中にはあるんだけれども、主人公と他のキャラがその戦術を使って入れ替わった瞬間、脈絡もないチートっぷりで敵を倒してしまうのがなんか、話として出来過ぎているし、予定調和の度が過ぎていると感じましたね。
この手のバトルアニメにありがちなんですが、敵側もプレイヤーの動きを察知して、明確に賢く戦おうという描写がない状態で、主人公の俺Tueee劇場が起きているので、せっかくの緊迫感溢れる舞台設定が台無しになってるし、大人のオタクにも響きそうな重いテーマ性を持った人情味あふれる話もあるのに、こういうのがあるとピュアな子供には希望を持たせられるけど、冷静に考えれば考える程、作品が安っぽく見えてしまう。
妙にハーレム塔立てすぎなのも、主人公が必要以上にもてはやされている要因だと思いますが、そこまで突っ込むと完全に私情になってしまうので、目を瞑りましょう。
演出面
プレイヤーの分身となるアバターの設定が変わる演出があるんですが、ゲームマスターにSAOはデスゲームだと伝えられた瞬間、自分の仮の姿だったアバターが実際のプレイヤーの容姿ほぼそのものの姿に変わるのも、ゲームの中に人間社会のリアリティをどこまでも追求しようという、この作品らしさがよく出ていて良かったと思いましたね。
可愛い姿をしていたアバターがおっさんの姿に変わったり、屈強な肉体をした男がやせ細った弱っちい少年の姿に変わったりするんですよ。
SNSやブログの台頭によって、自らの実名・正体を明かさない「匿名性」が保障されるようになってきた昨今。
対面でのコミュニケーションを必須としないので、自由なときに自由な発言ができるようになったり、自分の発言に責任をあまり持たなくていい場合が多いという特色があるけど、そのせいであからさまな誹謗中傷が社会問題にもなりつつあり、人々の情報入手量もインターネットの進化で多くなったことで些細なことで炎上ことも多くなってきた。好きなことがあまり多く言えなくなり、自分の発言により慎重に向き合わなければいけなくなってきている。
敢えてリアルな自分を晒させるというこの演出は、この問題を逆手にとったような素晴らしいものだったと思ってます。
10年代前半のアニメの、リッチさのある綺麗な絵柄と、その中にどこか昔の作品のような粗さも残っている美術面でのバランスは良かったと思ってますね。
剣戟のアクションシーンも、原画何枚あるんだよってレベルで手数が多くて迫力は感じました。
ただ傷をつける描写で、返り血を鮮明に描かなかったのは、妙なチャンバラ感が出てて緊迫感が足りなかった要因かな~って思いました。まあいずれにせよ、アニメーションとしてのレベルは高水準だったと思います。
アインクラッドはお色気演出は少ないのですが、このアインクラッド篇におけるメインヒロインであるアスナのフォルム的なエロさに、微かなエロチズムを感じさせる描写は随所にあるので、それを探してみる変態的楽しさもあるのではないでしょうか。
キャラクター
15話以降に出てくるキャラクターは割愛させて頂きますね。
全体的な印象ですが男キャラがひたすらにカッコいいというよりも、ヒロインの包容力が高い印象でしたね。
紅一点っていう言葉がありますけれども、その言葉じゃ収まんないくらいキャラデザがエロチズムを感じますし、インパクトの高いものだったと思います。
ま~ずは主人公の、キリト。
体型はあまり大柄ではなくやせ細っていて、見るからに弱そうな見た目をしておりますが、ゲーマーとしての素質はかなり高いレベルにあり、このデスゲームの中でも特別な存在になっていきます。
戦略的に不利な状況でも、何かがとりついたかのようにいとも簡単に自分の流れで解決してしまう。
時折、人を舐めくったかのようなイキった態度も見せますし。
あと謎のイケメン設定もあるので、ハーレム塔もつぎつぎに作っちまうよと。
悪い言い方をするのであれば、(特に男性の)オタクが詰め込んだ、容姿、納涼的な嫌な部分を取っ払ったような理想の塊のようなキャラクターですよね。
最近の異世界系アニメの主人公に多いんですが、このキリトもまさに、アニメ臭え主人公属性設定てんこ盛りで、個人的にはあんまり好きじゃないですよね。
この夢ある設定を受け入れられる心の広いアニメファンの方々なら良いんですけども、僕はひねくれものなのでこういうとこは凄い気になります。
シナリオでの話でも語ったけど、彼の存在が物語をつまらなくしているところもありますしね。
僕は他の話ではなくてアインクラッド篇を勧めるのは、今あげたキリトの悪いところがあまりエスカレートしないエピソードだからでもあります。
たまたまネットで見かけたんだけどさ。
これに何の需要あんだよ、この野郎。
はい~~~~~~~~。
続いてヒロインの一角、アスナ。 (画像右)
キリトの大切な仲間の一人。
皆さん、見て下さいな。
この優しくブランドされ、艶のある栗色の髪。
体の何かが爆発しそうな、華奢なプロポーション。
そこはかとなくフォルム的なエロスを感じませんか?
これといって、一つ飛びぬけて萌えるっていう特徴はないのですが、強いて言うなら、キリトを一途に思うあまりの苛烈な一面を見せるってことでしょうか。
アインクラッド篇ではメインヒロイン枠として多くの出番を得ているということもあって、彼女の女性らしさも描かれてるんですよね。
苛烈な一面があるのに実は料理上手だというギャップ萌え設定もあってそれが良いという方もいますが、SAO以前んもそうですし、直近のアニメでも顕著にみられる傾向にありまして、一種のアニメあるあるの嫁属性になってますし、新しさは正直ないです。
男子、特にキモオタが泣いて喜ぶのって、異性から自分の行いをはっきりと叱ってくれる女の子の存在だと思ってるんですよね。
男子は自分の軽い欲望のままに動く生き物なんで、キリトとてそれは例外ではない。
何かの生き物だと思って、間違っておっぱいを触るし。
性欲に抗えず、着替えを除くこともある。
肌を晒した時の演出も、プロポーションも相まってエロいんですけど。
キリトは自分で問題を丸め込もうという癖があるし、そんなときに他人事とは思えないレベルで行動を咎めたりという場面がしばしばある。
感情に任せて主観的に物事を考えるのではなくて、冷静かつ客観的に物事を考えてくれる、そういう人って女性が多いっていう話あるじゃないですか。偏見もあって申し訳ないんだけども周囲にそういう人がかなりいたもんだから、そういう女性が理想的だと思ってしまうんですよね。
続いて、こちらもヒロインの一角、リズベット。
鍛冶屋を営んでいるプレイヤーであり、アスナと交友関係が深い間柄になります。
ヒロインの中では登場するのが一番遅いキャラになりますが、僕が思うに一番ナチュラルでフレンドリーな性格のキャラではないでしょうか。
アスナのような苛烈さはないですし、キリトのようなアニメ臭さてんこ盛りの設定はない割となく、とっつきやすいんじゃないかと。
人情を大事にしつつも言いたいことははっきりというサバサバした人柄もありますけれども、彼女にも過去からくるコンプレックスのような弱さはあり、人の弱さをも浮き彫りにさせる世界観を持っているSAOですから、そこの部分も感じ取っていただくとより楽しめるのではないでしょうか。
続いて、最後のヒロインの一角、シリカ。
小竜であるピナを使い魔として戦う少女。年齢は12歳くらい。
胸もあまり大きくない。
そんなロリコンウハウハな容姿の彼女ですが、アスナとは違う次元での可愛いストロングポイントがありまして、
ピナを一途に思っているピュアさも魅力なんだけれども。
この妹をみているかのような、無防備かつ、無邪気な笑顔で飯何杯もいける包容力があるんですよね。
笑顔は一番の化粧という言葉もよく聞きますよね。僕はSAOの中で、笑顔が一番愛らしいキャラは誰かと聞かれたら、秒で「シリカ」だと即答しますよ。それくらいの自信があります。
あとはそのピュアっぷりの追い風となるような、日高里菜さんのアフレコも素晴らしくフィットしているので、そこも楽しんでいただけるポイントなのではないでしょうか。
続いて男性キャラの一角、クライン。
本エピソードでの年長キャラになります。24歳。
女たらしの一面がありますが、侍風の容姿をしている通り、義理人情に厚いナチュラルなキャラクターをしているので、リズベットと同様に初見の方にもとっつきやすい人物だと思います。
キリトはいなそうだけど、クラインみたいな気さくなおっさんはどこかにいそうって感じなのもよいですよね。今、僕がやってるバイトの職場にいるボス的な方も、クラインみたいな感じですし。
声優は平田広明さん。
ワンピースのサンジ役で、有名な方になりますね。サンジも女たらし気質がありますが、性格がマシなのはクラインの方じゃないかと。
あまり登場回数は多くありませんので、そんな深くは語りません。
続いて、エギル。
キリトとはよく顔を合わせることになる商人の一人です。
戦闘能力はキリトほどではないものの、それでも高い部類。見た目通りの大きな斧を振り回す姿はまさしく巨漢の兄貴肌を感じますね。
アフリカ系アメリカ人の黒人設定ですが、日本語はバリバリいける男性。
声優は、安元洋貴さんです。クラインと同様に登場回数はあまり多くありませんが、安元さん天性のセクシー低音アフレコは必見です。
音楽面
OPは、「Crossing Field」。
鬼滅の刃でも主題歌を歌われているLiSAさん。
曲も本編に合っていて素晴らしいのですが、
アスナの現実の姿と、アバターの姿を鏡のカットを使って入れ替える演出と、サビのキリトとアスナがスイッチして敵を倒す演出は、気分があがるものがありましたね。
アスナ役でもある戸松さんの芯のある歌声が、このSAOという仮想空間に閉じ込めらながらも強く生きると決めた、アスナの決意の意思を感じられるものになっております。
映像との相乗効果も抜群で、素晴らしい楽曲だと思いますね。
いかがでしたでしょうか。
これから10月30日に公開される、劇場版SAOプログレッシブに向けてこの作品自体に初めて触れる方、映画に直結する内容をおさらいしようと思っている方に向けて、僕が思うSAOの魅力について伝わったのであれば、幸いです。
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